天声人语07年8月15日

文章作者 100test 发表时间 2007:09:06 11:41:29
来源 100Test.Com百考试题网


戦争への反省

  昭和と切っても切れない人だからか。夏のきわみに、この春死去した城山三郎さんをめぐる本の出版が相次いでいる。17歳で入った「軍隊」が残した傷痕から出発し、 生涯をかけて 戦争を追究した作家である。
  难道是与昭和剪也剪不断的人么?夏末之际,与今年春天去世的城山三郎先生有关的书籍接二连三出版。他以 17 岁入“武”所留下的伤痕为出发点,是一名耗费一生追究战争的作家。

  亡くなる前年にお会いしたとき、特攻の話になった。戦争末期に「桜花」という特攻機があった。着陸する車輪さえなく、 体当たり だけを目的に作られた兵器である。あるとき米国の航空博物館で、城山さんは実物を見る。あまりにも狭い操縦席に、胸をしめつけられた。
  在城山先生去世的前一年拜见他的时候,我们聊了关于特攻的话题。战争末期,有一种名为“樱花”的特攻机(指飞机,译者注)。这是一种着陆时连滑轮也没有,仅仅是以自灭方式攻击对方为目的所制作的武器。有一次,在美国航空博物馆,城山先生目睹了实物。胸口被紧紧卡在狭窄得不能再狭窄的操纵席上。

  若者が身体を折りかがめ 、兵器の一部となって乗り組んでいく。悲劇的な姿が脳裏に迫った。人格など顧みられず、人間が消耗品扱いされた時代を痛感したという。死んでいった兵への愛惜を語り、「行かせた者は許せない」と目を しばたかせて いた。
  年轻人们弯腰折身,作为武器的一部分编成而往。悲剧性的身姿印入脑海。据说,不顾人格种种,把人当作消耗品来使用的那个年代令城山先生倍感痛心。他诉说着对已经死去的士兵的爱惜,眨巴着眼说道,“决不饶恕那些让士兵去送死的人”。

  そして、城山さんのいない8月15日が巡る。人命を湯水のように戦場に つぎ込んだ 指導層の責任を、城山さんのように問う戦中派もいる。横浜の飯田進さん(84)は、南方での餓死、病死のありさまを書き残そうと、時間と競争の執筆を進める。
  再来回顾一下城山先生已然不在人世的8月15日。同样还有像城山先生那样的战中派,质问那些把人送上水深火热般战场的统治者的责任。横滨的饭田进先生(84岁)为了写下(士兵在)南方(应该指新加坡、马来西亚这样的地方吧,译者注)饿死、病死的情况而与时间赛跑,笔耕不断。

  自らも死線をさまよった。軍部は拙劣な作戦を繰り返し、補給もなく、おびただしい兵を 野たれ死に させた。その責任に 目をつぶって 、惨めな戦死者を「英霊」と呼べば、戦争の実相を隠すと思うからだ。
  他自己也在生死线上徘徊。军方不断做出蹩脚的作战方案,没有补给,大批大批的士兵死在路边。因为(他们)觉得,如果对于这样的责任视而不见,还把惨烈的战死者成为“英灵”,就能隐埋战争的真相。

  この夏の、城山さんをめぐる一冊に、若いころの本人の詩があった。戦争を、〈暖い生命を秤売(はかりうり)する〉ものだと 突いて いる。 気骨の作家の遺訓が聞こえてくるような、62年目の 蝉(せみ)時雨(しぐれ) である。
  在这个夏天,以城山先生为主题的一本书里,有一首他本人年轻时候的诗。他这样抨击着战争,“秤斤论量生生卖性命”。这是一个仿佛令人听到铁骨作家之遗训的第 62 个百蝉起鸣时。



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